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人権はフルスペックで当たり前  小田島隆
http://www.asyura2.com/13/senkyo148/msg/269.html
投稿者 ダイナモ 日時 2013 年 5 月 24 日 22:46:47: mY9T/8MdR98ug
 

 乙武洋匡さんがイタリアンレストランへの入店を拒絶された件について、大筋の話は既に落着している。

 当該のレストランに苦情が殺到したことや、乙武さんのツイッターアカウントが炎上した点についても、ご本人が自身のブログ上で行き届いた総括をしたことで、騒動は鎮静化している。

 なので、この問題自体を蒸し返しすつもりはない。
 私自身は、初期段階から、当件には関与していない。ネット上で、騒ぎが拡大していることに気づいてはいたが、あえて見に行くことはしなかった。
 つい先ほど、この原稿を書くための予備取材の意味で、乙武さんのブログと、いくつかのまとめサイトの記述をチェックしに行っただけだ。
 だから、何も言わない。

 これまで静観していた人間が、ことここに及んで何かを言うことは、態度として好ましくないと思うからだ。
 決着のついたレースについて、したり顔で解説を垂れる評論家の言い草を、競馬ファンの多くは、軽蔑している。

「馬券も買わなかったヤツが何を言う」

 彼らは、勝ったのであれ、負けたのであれ、自腹を切った人間の言葉を尊重する。リスクを冒しに行っていない人間の言葉には、耳を傾けない。

 今回の出来事についていうなら、馬券を買っていた(つまり、リスクを負っていた)のは、乙武さんとイタリアンレストランの店主だけだ。
 そういう意味で、私は、論評する資格を持っていないと考えている。

 今週は、障害者一般の話をしたい。
 と、書き始めたとたんに、いきなり炎上の種子が宿っている。

「障害者」

 という表記がそれだ。
 私も、かつて、この文字を使うことについて、何人かの人間から注意を促されたことがある。

「私は『障碍者』という字を使っています」
「『碍』という難読漢字が嫌なら、『障がい者』というふうにひらがなに開く手もありますよ」

 なんでも、「障害者」という単語を構成するうちの一つである「害」という漢字に、「他者を傷つける」という意味合いがあることが、「さまたげられている」当事者である障害者のありようにふさわしくないというのが、彼らの言い分であるらしい。

 なるほど。
 趣旨は了解した。

 しかしながら、私は、「障がい者」と「障碍者」の、いずれの表記も好まない。

 まず、「障がい者」という表記は、漢字とかなの交ぜ書きが不快で耐えられない。
 あえて「害」の字を排除した書き手の意図が行間に横溢してしまっている点も感心しない。

Page: 2
 私は、こういう「これ見よがしな善意」みたいなものが、自分の文章の中で文脈とは無関係に突出する事態を歓迎する者ではない。だからこの用語は使えない。「障がい者」とタイプしただけで、次の行を書く気持ちが萎えてしまう。

 「障碍者」は、「碍」を「がい」と読ませる設定の難解さに抵抗をおぼえる。
 現代に生きる日本人の第一感では、この字は、右側のツクリからの類推で「とく」と読みくだすと思う。多数派の日本人が誤読する可能性のある漢字を使うことには、やはり抵抗を感じる。

 それ以上に嫌なのは、この「障碍者」という表記に、見る者を「啓蒙」しようとする気分が含まれている点だ。

 「子供」→「子ども」の時にも書いたが、この種の特別な表記を広めようとしている人たちの口吻には、

「私たちのような人権意識の高いリベラルな人間は、『障害者』などという差別的な表記には耐えられないのです」

 という特権意識のようなものが露呈している。別の言い方をするなら、

「あなたがた無神経で無教養な人々は何にも知らないだろうから教えてさしあげるけど、『害』の字には、『他者を傷つける』という含意があります。そういう文字を、『しょうがい』をかかえる人間の呼称として使うことの罪深さがお分かりですか?」

 といった感じの「ご高説」みたいなものを、私はこの文字の字間から受信するのである。
 考え過ぎだと?
 私はそうは思わない。考え過ぎているのは、「害」を個別の文字として単語から分離した上で、偏った読み解き方をしている人たちの方だと思う。

 仮に、「障害」という用語に不快を感じる人々が実在しているのだとしても、当該の言葉を使っている側に特段の悪意が無く、文脈に差別的な意図が宿っていないのであれば、そこから他人を傷つける意図を読み取るのは、やはり誤読だと申し上げなければならない。

 漢字の意味についての解釈は、だから私は、こじつけだと考えている。
 漢字には、様々な意味が備わっている。
 漢和辞典を開いてみれば、誰にでもわかることだ。

 表意文字は、読み手の読み方次第で、どういうふうにでも解釈できる。言葉というのはそもそもそういうものなのだ。

 たとえば、「経済」の「経」には、「首をくくる」という意味がある。だから、成語の「経死」は、「縊死」と同義だ(『新漢語林』第二版 大修館書店より)。

 ということになると、この文字の不吉なニュアンスを回避すべく、日本経済新聞は「日本けい済新聞」と改名せねばならないのだろうか。あるいは、よりハッピーな語感を醸すべく「日本恵済新聞」ぐらいに看板を掛け替えた方がよろしいというのか?

 ばかばかしい。

 三島由紀夫は、サインを求められると、興に乗って「魅死魔幽鬼男」と書くことがあったのだそうだ。
 私も、一時期、三島先生にならって、「汚堕地魔多禍死」と署名していたことがある。

Page: 3
 もちろん、だからどうなったというものでもない。三島は死んだが、別に不吉な名前でサインをしたからというわけでもなかろう。私は生きている。名前通りに、地に墜ちて禍(わざわい)多く汚れてはいるが、まったく死んでいない。あたりまえだ。

 「子ども」でも「障がい者」でも同じことだが、特段の差別意識が宿っているわけでもない言葉の言葉尻をつかまえて、そこに「差別」なり「悪意」を見つけようとする態度は、本当の差別の撤廃には貢献しない。

 この種の言葉狩りがもたらすのは、むしろ、糾弾や非難を恐れる社会的な恐怖心だ。
 そして、その恐怖心は、「障害」に言及したり、「障害者」と交流することそのものをタブー視するネガティブな態度に結びつく。

 さらに言うなら、「好ましからざるニュアンスを持った文字が含まれているから」という理由で、文脈の中から特定の用語を排除しようとする姿勢は、「余計な社会的コストがかかるから」という理由で、社会の中から障害者を排除しようとする思想と、その根本において軌を一にするものなのである。

 そうでなくても、われわれは障害者について何かを言う時、過剰な「配慮」を求められている。
 というよりも、求められる以前に、われわれは、障害者に対する時、なぜなのか、過度に緊張している。

 であるからたとえば、自分のブログに障害者に関連するテキストを書こうという段になると、わたくしども素人は

「障害者の方々」
「障害に苦しんでおられる皆様」
「障害をお持ちのお客様がいらっしゃったので」

 と、最大限に丁寧な言葉を使ってしまいがちになる。
 障害者に敬意を抱いているからではない。憧れているからでもない。

「普通の言葉使いをすると、差別と受け取られかねない」

 と考えて、その自分の考えにおびえるからだ。
 かくして、架空の圧力団体の糾弾を恐れるブロガーがものする原稿は

「目のご不自由なご年配の男性が放置自転車に行く手を阻まれて、ご困惑の態で御佇立しておいでだったので」

 と、なんだか、皇室記事みたいな文体を獲得するに至る。
 というか、メカニズムは皇室記事の生成過程と同じだ。

 障害者に直面した一般人は、皇室記事を任された新米記者と同様、うかつな言葉を使って失態を演じることをなによりも恐れている。だから、彼は、とにかく持ち上げておくのが無難だとばかりに、最大限の敬語を使うのである。

 さてしかし、言葉狩りをしている人たちも、過剰な敬語を使っている人たちも、悪意でそれをやっているわけではない。
 だから私は、彼らの態度を、必要以上に責めようとは思っていない。

 人々が、見慣れない対象にぶつかって、ぎこちない反応を示すことは、賞賛すべきことではないにしても、大筋から言ってほほえましいリアクションではあるからだ。

 良かれと思ってやっていることが的外れだったり、緊張のあまり仕草の細部が硬直化するというのは、われわれの誰もが犯しがちな誤りであり、それは、仕方のないことだ。よしんば、彼らの態度の中に若干量の「偽善」が含まれているのだとしても、そのことを以て人々の「善意」が価値を失うということでもない。

 というよりも、「善意」が「偽善」を含んでいるのは、むしろ当然のなりゆきでもある。であれば、その「偽善」の量が、臨界点を超えない限り、善は善としてなまあたたかく歓迎してさしつかえないはずなのだ。

 問題なのは、他人の偽善を指摘することで、何かを成し遂げた気持ちになっている人々が、結果として、善なる人々の善なる意思を台無しにしている現状だ。

 私は、インターネットの普及以来、勢力を拡大しつつあるように思えるある種の「本音万能主義」に対して、強い憂慮の念を抱いている。

 詳しく述べる。
 ネット上では、遠慮の無い発言が許される。

 特に匿名のアカウントで発言する人間は、露骨な差別用語や、リアルな空間では決して口外できないヘイトスピーチの類も自在に拡散できる自由を手にしている。だから、発言は、どうしても過激かつ露悪的な方向に流れがちになる。

「要するに○○○は家の中に引っ込んでろってこった」
「○○の分際でなーにがイタリアンだか」

 こういう無遠慮な話しっぷりが、魅力的に見えるのもネットならではだ。

「おまえたちの善人ごっこにはうんざりだ」
「○○が××だと思うんなら、はっきりそう言えよ」

 今回、事件の概要を把握すべくネットを巡回していて、正直な話、気分が悪くなった。
 二日ほど前の当サイトに掲載された慎 泰俊さんの記事の、コメント欄にもがっかりした。

Page: 4
 記事に対して賛否があるのは当然なのだとして、テキストの内容を曲解してかかる書き込みが少なくなかったのはいったいどういうわけなのだろうか。ネットのリソースの中では、会員登録というハードルを設定している分、比較的上質であるはずの日経ビジネスオンラインの読者にしてからが、この程度の人々を含んでいたというのは、やはり、どうにも残念なことだ。

 結局、名前と顔をさらすことで「上品ぶる」ことを余儀なくされている公的な場所(「社会的偽善」を要求される枠組み)に居ないと、人は、上品にふるまうことができないのだとすると、ネットがもたらす本音の言論は、われわれの社会が上品ぶることでかろうじて持ちこたえている社会的な基盤を根底から破壊しかねないということになる。

 今回、乙武さんに対して非難の声を上げていた人たちに通底していたのは、乙武さんを、障害者である以上に、ある種の「特権階級」として扱おうとする態度だった。

 つまり、彼らは、「既得権益者を血祭りにあげる」というおなじみのストーリーを採用していたわけだ。あの乙武さんに対して、である。

 あきれてしまう。
 有名人だから、経済的に豊かだから、十万人以上のフォロワーを抱える影響力の大きな人物だから、ということがあると、障害者である側面は帳消しにされるわけなのか。

 おそらく、乙武さんが、無名の貧しい身体障害者で、入店を拒否されたのが庶民的な町の食堂であったのなら、彼らの「同情」の持ち方は、もう少し違っていたはずだ。

 別の言い方をするなら、あるタイプの人々の「同情」は、「自分より低い位置にいる」ことが確認されている対象に対してしか発動されない設定になっていて、何かの基準で、「同情に値しない」ポイントを超えると、サービスは無効になるということだ。

 あるいは、障害者であれ、著名人であれ、「普通」でない人々は、結局のところ「局外者」として排除されるということなのかもしれない。

 今回の乙武さんの事案に限らず、障害者をはじめとする「弱者」が登場する物語は、ネット上では、いつも同じ形で展開する。すなわち当事者のやりとりとは別なところで、

「生産に寄与しない人間は遠慮すべきだ」

 という声をあげる人々の声が大勢を占める結果になるのだ。

「オレらは何もそんな極端なことを言ってるわけじゃないぞ」

 と反発する人がいるかもしれない。
 が、現実に、政府の人間がほとんど同じ意味のことを言っている。
 以下、引用する。

《「――略――(生活保護給付水準の)見直しに反対する人の根底にある考え方は、フルスペックの人権をすべて認めてほしいというものだ。つまり生活保護を受給していても、パチンコをやったり、お酒を頻繁に飲みに行くことは個人の自由だという。しかしわれわれは、税金で全額生活を見てもらっている以上、憲法上の権利は保障したうえで、一定の権利の制限があって仕方がないと考える。この根底にある考え方の違いが大きい。」》

 以上は、「週刊東洋経済」の2012年7月7日号に、世耕弘成参議院議員が、記名で書いた原稿の一部だ。
 ネットイナゴの捨て台詞ではない。

 「フルスペックの人権」という言い方に、私の世代の日本人はまずなによりも度肝を抜かれる。

 というのも、われわれは学校で、「人権は、天賦のものであって、何人もおかすべからざる、生存の前提だ」というふうに教えられてきているからだ。

 「フルスペックの人権」という言葉の背後には、「人権」を「スペック」と見なす思想がある。

 驚くべき思想だ。

Page: 5
 スペックとはつまり、それがパソコンにおけるメモリ搭載量や、自動車におけるカーナビ装備の有無といった、「計量的」かつ「取り外し可能な」属性であることを意味している。

 政権与党の内部にいる人間が、人権をそんなふうな「行政側の判断で賦与したり召し上げたり制限したりすることが可能な」テンポラリーでオプショナルな周辺装備の如きものとして描写する態度自体、驚天動地と申し上げるほかないのだが、この考え方は、世耕議員の独創ではない。同じ考え方を抱いている日本人はたくさんいる。
 もしかしたら、もはや多数派であるのかもしれない。

 この種の主張を展開する人々の頭の中には一種の「生産管理思想」と言って差し支えのない効率万能主義が根を張っている。

 彼らの考え方からすると、「大きさや形の揃っていない部品は、システムの不確実性を増大させる」という意味で、「不良品」に分類される。

 と、それらの、「粒の揃っていない」「不定形な」部品は、ジグソーの絵柄にハマらないパズルのピースとして、排除せねばならないことになる。
 工場長の立場で、工業製品を相手にものを言っているのであれば、彼の主張は正しい。
 しかしながら、われわれの社会は、「効率のために動いている」のではない。
 また、わたくしども個々の人間は、より大きな何かの部品として定義されるところのものでもない。

 われわれは、世界を効率的ならしめるためにこの世に生まれたわけではないし、社会的な生産量を極大化するために生きているのでもない。

 順番が逆だ。

 むしろ、そもそもバラつきのある個々人であるわれら人間が、それぞれに違った方法と条件で、個々の快適な時間を過ごすために、社会が設計されている…というふうに考えるのが本当のはずなのだ。

 誰もが障害と無縁なわけではない。
 この先、老いて死ぬまでの間には、必ず車椅子や杖の世話になる時期がやってくる。

 その時に、それぞれの身体的条件を社会に適合させるための道具や施設や制度が、近視の人間にとっての眼鏡や、歯を抜いた人間にとっての義歯のように、効果的にサポートしてくれるのであれば、それは、万人にとっての利益であるはずではないか。

 偽善的なことを書いてしまった。
 これで、またしばらく、解善(←解毒の反対ね)のために、ツイッターで毒を吐かねばならない設定になったのでよろしく。

(文・イラスト/小田嶋 隆)


http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20130523/248527/?rank_n&rt=nocnt  

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コメント
 
01. 2013年5月24日 23:02:34 : x2e9Qrw4bk
生活保護でも、自立支援法でも、差別でも。
健康で、勤勉なものだけがカネを得るのが正当だと思っている人が、大半。。。
日本もかなり前に、一流の生産力をもった先進国になったんだから、政治家も国民も(精神的な)成長しないとね。

02. 2013年5月25日 09:15:00 : VYoSSLUTdI
内田樹と同じく女の腐ったような迂遠な書き方をするやつだな、こいつ。
まずじぶんの防御を張り巡らせる。そのために文章の七割がたをさく。
結論といえばほんの少しだが、その結論は決して解決策や分析ではなく、状況視認程度であって最後はこうむすぶ。
「どうすればいいのでしょう」「また書いてしまった」.....etc。
犬のションベンよりたちの悪いマスコミ芸者たちだ。

03. xyzxyz 2013年5月25日 15:16:40 : hVWJEmY6Wpyl6 : JI2Seycs4s
乙武さんの人権講演会でも、車椅子で来る人は事前連絡が必要とした旨を書いてるんだよね。
普段の乙武さんのありようは好感持てるけど、今回はやっちゃったね。
あと、ある大手企業のお偉いさんと親しくさせてもらっていて、そこの息子さんも
障がい者なんだけど、ハンディキャップと言ってたかな。最近じゃチャレンジドとも
いうらしいけど。


乙武洋匡さん 人権講演会
「チャレンジ精神を忘れずに」(廿日市市政施行25周年記念)
日程: 2013年6月8日
時間: 13時30分から
場所: はつかいち文化ホール さくらぴあ大ホール
住所: 広島県廿日市市下平良1丁目11?1
講師: 乙武洋匡さん(作家・スポーツライター)
入場料: 無料 (席に限りあり。車椅子の方は事前連絡が必要)
http://tabetainjya.com/archives/cat_3/post_2850/


04. 2013年5月25日 16:19:30 : 53fgiNYeIs
03. xyzxyz 2013年5月25日 15:16:40 : hVWJEmY6Wpyl6 : JI2Seycs4s
乙武さんの人権講演会でも、車椅子で来る人は事前連絡が必要とした旨を書いてるんだよね。

乙武洋匡さん 人権講演会
「チャレンジ精神を忘れずに」(廿日市市政施行25周年記念)
日程: 2013年6月8日
時間: 13時30分から
場所: はつかいち文化ホール さくらぴあ大ホール
住所: 広島県廿日市市下平良1丁目11?1
講師: 乙武洋匡さん(作家・スポーツライター)
入場料: 無料 (席に限りあり。車椅子の方は事前連絡が必要)
http://tabetainjya.com/archives/cat_3/post_2850/


これと今回のごたごたとは次元がちがうのではないですか。
「高級イタリアレストラン」とやらが乙武氏の後援会チラシとおなじようにレストランのウェブ上にそのような配慮の通告を出していたのですかね。
あるいは店先にそのような旨の通告を書いていたのですか。
それなら「ショウガイシャ」への配慮のいきとどいた立派なレストランですよ。
そうじゃなくこの高級レストランの店主は「車椅子」の客の登場など思いもしなかったのでしょう。
その時点で私的にはこの店主はアウトですよ。おもてなしの意味もわからなければレストランをやる意義も知らない。
金儲けで飲食業やるならレストランのような効率の悪いことするなといいたいね。
おそらく無能なのだろうが、はた迷惑だ。
これが同じ車椅子でもギリシャの船舶王なら従業員総出でお迎えだったのか、それとも同じように「これがうちのスタイルなんでね」とでもいったのだろうか。
立派な高級レストランであろうと下町の薄汚い大衆食堂であろうと車椅子の客をいやがる店主もいれば、気にも留めない店主もいる。
あたりまえのように車椅子の客を従業員に命じて二階に運ぶように指示する店主もいる。
それだけのことじゃないですか。


05. xyzxyz 2013年5月25日 16:37:11 : hVWJEmY6Wpyl6 : JI2Seycs4s
>>4
そうですねえ。
理想なら盲導犬が来ようと車椅子の客が来ようと、言葉が全く通じない外国人が来ようと
寝たきりの重篤の患者が来ようと何にでも対応出来る店がお客様にとっては
最良のお店になるんでしょうね。

しかし規模のせいで、従業員の数のせいでそこまで対応出来る店は限られてきますね。
そしてそうした準備の出来ない店に対して居丈高になって「なっとらん!」と怒鳴り散らすのが
普段の乙武さんのありようや発言と相いれるのか、、ちょっと疑問に感じますね。
恐らく障がい者を熱心に支援してる人にとって、普段の乙武さんの発言は受け入れがたいもの
ばかりだと思いますよ。そうした普段の乙武さんの姿勢からしたら、今回はらしくないなと思った次第ですね。


06. 2013年5月25日 20:41:24 : 7zD4BIHfzE
05. xyzxyz 2013年5月25日 16:37:11 : hVWJEmY6Wpyl6 : JI2Seycs4s
>>4
そうですねえ。
理想なら盲導犬が来ようと車椅子の客が来ようと、言葉が全く通じない外国人が来ようと
寝たきりの重篤の患者が来ようと何にでも対応出来る店がお客様にとっては
最良のお店になるんでしょうね。


そこまではいってないですよ。
それにそこまで敷衍しては詭弁になる。
車椅子の人にとって車椅子はいわば人間にとっての足です。
ちょっと大型で面倒だけどその人にとって足であることにかわりはない。
伝染性の病気をもっているわけでもないし、異臭を放つ衣服を着ているわけでもない。盲導犬と一緒でもない。
そういう人に対して「特殊な脚をしているなら事前に電話しろ」という。特殊な脚の客は従業員の手間をくわせるからだという。
これがわからない。従業員の手間をくわせる客の到来を喜べないのなら「おもてなし」の仕事はやめろよといいたいね。
その店がたとえ上辺だけにせよ、手間をくわせる客に面倒を惜しまず世話をしている姿は、他の客にとってもそれを見るだけで、好ましい風景のひとつなんだということがぜんぜんわかっていないのじゃないか。
わたしが客なら、たとえそれが店のパフォーマンスだとしても店に飾ってある絵や花以上になにか気持ちをなごやかにさせてくる光景だし、「またこの店にこよう」という気持ちにさせるのですがねえ.......。
しょせん小作人の末裔である多くの日本人には高級レストランなんか無理なんかね。w
精神の貧乏なやつにかぎって高級レストランで尊大な気分になりたがる。そんなもの本場イタリアの三ツ星レストランの客からみれば噴飯物の付け焼刃でしょ。



07. 2013年5月25日 23:06:41 : xdComoKHeQ
レストランてのは「おもてなし」を強要されるんか(笑)
テレビドラマの見過ぎだろう
気に食わなければ行かなければいいだけの話。
それ以上でもそれ以下の話でもない。

介護している立場の人から言わせてもらえば
ホテルか何かを予約する時なんかは車いすの人がいます
ってのは一応伝えるけどね。
障害の程度によっては相手にいろいろ手間を取らせることになるから
それができるかどうかは確認するよ。
それは伝えておいた方がお互いのタメだからさ。

よく分からんが売言葉に買言葉的になって話が拗れたんじゃないの
第三者がガソリンをまくような話じゃないな。


08. xyzxyz 2013年5月26日 13:00:32 : hVWJEmY6Wpyl6 : JI2Seycs4s
>>6
今回の場合だと、乙武さんの足とされる電動車椅子は100キロに及ぶそうです。
これに乙武さん自体の重量(40あたり?)が加算されます。
これを2階まで運び上げるのは、店の規模にもよるだろうけどよっぽど従業員を
かこってるとこしか不可能でしょう。女性込みの3,4人程度じゃ持って上がれる代物じゃありません。6人ぐらい必要だと思いますけど、調理についてる人員以外で
それだけの人数を割けるほど表で動ける従業員を割けるレストランってそうそう無いでしょう。
事前連絡してすら、対応不可能な店が殆どじゃないかな?


>そうじゃなくこの高級レストランの店主は「車椅子」の客の登場など思いもしなかったのでしょう。
>その時点で私的にはこの店主はアウトですよ。おもてなしの意味もわからなければレストランをやる意義も知らない。


この>>4で言われてる通りだと、100(+40)キロもの重量がある車椅子を運び込める
人員とスペースを確保していなければ、おもてなしの意味もわからない、レストランを
やる意義もないということですが、これでは殆どの街の食堂はアウトになってしまいます。
大手のチェーン店でもそこまで人員がいるとは思えませんけど。


こうした事態にも隅々まで対応出来る社会の方が望ましいのは理解出来るんだけど
本当にそこらの大衆食堂や一人で切り盛りしてるような店にまで、こうした負担を
強要して、対応出来ない店にはアウトって切り捨てられるんでしょうか?

普段、身障者も健常者と同じように扱って欲しいとする主旨の発言をよくする
乙武さんにしては、突然乗り込んだお店で特別扱いを強要する「らしくない」言動だったな
と思った次第です。


>>7
今回はたまたま突発的にこのお店に寄ろうということになったようですね。
ヘルパーの人も女性の人が一人ついてるだけで、車椅子に対応出来るような
状態ではなかったようです。

>よく分からんが売言葉に買言葉的になって話が拗れたんじゃないの

多分これでしょうね。普段の乙武さんは相当に冷静な人のように見えるし。
彼も人間だし虫の居所が悪かった、店主の言動にカチンときたってのも
あったんでしょうね。


09. 通りすがり だよ 2013年5月28日 14:52:41 : kvo3oMLuYPpmI : YdzbrQqYyk
乙武教育委員に都庁職員の内部告発!
http://latache1992.blog56.fc2.com/blog-entry-624.html#comment-top
私は東京都の職員です。
オトタケが教育委員をしているのをご存知でしょうか?
この3月に就任したばかりで、まだ数回しか都庁に来ていませんが、セクハラまがいの人間性のかけらも無い態度に女性職員は激怒しています。
教育委員会の会議は、都庁の上層階で開催されますがこのフロアに他の部署はなく、あの広いフロアに教育委員会だけが存在しています。
先日登庁したときのことです。
駐車場から会議室までの案内など、彼には原則として男性職員が介助するのですが、
その日の会議終了後、雑談をしているときのことです。
その男性職員が席を外した際、もう1人いた女性職員に対し、なんとトイレ介助を要求したのです。
女性職員はとても驚き、勿論拒否したのですが、漏れそうなどと言ってトイレへの同行を強要しました。
行く行かないの押し問答をしていたら男性職員が戻り、その男性職員に介助を依頼するのかと思ったら、トイレのトの字も言葉を発しません。
あの男は女性の敵です。
教育委員などもってのほかです。
この事実を広く世間に知らせ、一刻も早く都庁から追い出してください。
宜しくお願いします。

10. 2015年1月03日 01:05:36 : Fl00PDjaLI

障害者夫婦「子供が二人欲しい」→支援団体「これ以上子供が出来たら支援できない」→夫婦勝手に子供作る→支援団体が手を引く→その結果…悲惨な事に

201: おさかなくわえた名無しさん 2008/07/21(月) 13:00:47 ID:9IH1qosu
私がテレビで見たのは、
障害者夫婦が子供をほしがって、
支援団体の支援もあり
生むことができてよかったんだけど、
もう一人ほしいって言い出した。

さすがに支援団体も

「一人いる状態でも支援が大変なのに、
これ以上子供ができたら支援できない」
って何度も説得したのに、
勝手に作っちゃって、
支援団体が手を引いた。

「支援してもらえないと子供が育てられない」
って泣く障害者夫婦。
障害者夫婦でももちろん子供を持ちたいだろうし、
支援があって可能なら、
支援してもらって
持つこともいいだろうけど、
その支援を当然と思っちゃったのかな。

「障害者は子供が一人でがまんしないといけないの?」
て泣いてた気がするんだけど、
経済的な面で一人であきらめた夫婦だっているんだし、
なんとなく同情できなかった。

202: おさかなくわえた名無しさん 2008/07/21(月) 13:09:10 ID:9zYvpmeZ
>>201
特権階級は、
特権を奪われたら騒ぐんだよ。

203: おさかなくわえた名無しさん 2008/07/21(月) 13:39:00 ID:K+1J7sp8
親の浅慮のために実際に生まれてしまった子供の事を考えると
ちょっとスーッと出来ない。
>>201はずうずうしい話向けだな。

204: おさかなくわえた名無しさん 2008/07/21(月) 14:26:16 ID:czt4FzXN
人は誰でも今が普通だと思ってしまう
今があたりまえだと思ってしまう
みんな恵まれていることに
気がつかないんだよね

失って初めてあの時幸せだったことに気がつくんだよね

引用元: ・胸がスーッとする武勇伝を聞かせて下さい!(69)
ht tp://kohada.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1214748274/


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